「この赤黒妖怪ジジイ、今度こそは退治してやる!」
目の前には血気盛んな猿どもが、吾輩を取り囲んでいた。
剣を構えたリーダー、魔法の杖をこちらに向ける仲間A、
錫杖を掲げる仲間B、そして、牛乳瓶の底のような眼鏡を掛けたC。
報告には聞いていた人類解放軍最強戦力。
それぞれ、直接会ったのは2度3度……名前は全く思い出せなかった。
それもそのはず、吾輩は本来、このような戦いの矢面になど立つことは無かったはずだった。
圧倒的な戦力、戦略。
伝説の武器や防具をも砕く、信頼の断罪。
数々の疑心暗鬼を告げる謀略。
それらを机上で組み立て立案するのが、
本来の吾輩の仕事であったのだが……
吾輩の僅かな計算ミスを、予想外の気合と人情などで突き、
妖魔兵団の中枢まで、攻め入られたのには度肝を抜かれた……
このことが妖魔兵団の長、四魔将軍がひとり、妖魔将軍ヒメラギ様の逆鱗に触れてしまった。
烈火の如き怒りを前に、吾輩のキャリアは吹っ飛ぶ。
……長い付き合いだ……多少の兵は貸してやる。
お主の全力で人類解放軍をここで止めよ、と……。
恩義には報いなけらばならぬ、吾輩とて、四魔将軍の5人目の妖魔とまで噂された
妖魔兵団の戦略室、その室長である! が、勢いを増す解放軍は、姑息な吾輩の手では抑えることはできなかった。
退路はすでになく、自慢の吹き矢技も圧し折られ、錫杖を抱える娘の光り輝く法術に吹き飛ばされる。
弱者らしく、無様に……命乞いをした……隙を作れ……生き残れ……
口の中に含んだ人心を惑わせる毒針……最後の切り札で、猿どもの同士討ちを……
「やれやれ、煮ても焼いても食えない奴は居るもんだ」
厚底眼鏡の眼鏡が輝き、眼鏡から放たれた光球を背中に受けた。
報告に聞いていた威力を遥かに超えて……猿どもは短い寿命の中、とてつもなく成長するのだ。
骨は砕け、毒針を吐き出すこともできず、赤黒い肌の矮小な妖魔の命は断たれたはずだった……。
だが、事態は、そうはならなかった。
妖魔兵団戦略室室長だったグェルゲドニュウス。
その背中への一撃の瞬間、姿を消したのである……。
気が付いた時は、見知らぬ香りが鼻を覆った。
うつ伏せになった顔をやや上げる、見知らぬ場所だ。
体はボロボロ、左足はまるで動かない。だが生きてはいるし口は動くようだ。
床は石でできているようだ。
自身(130cmしかない)の5倍程度の大きさで描かれた何やら円型の複雑な式の書かれた魔法陣の上に倒れている。
視線の先には二つの足があった。
「転移は巧くできたみたい……でも……」
顔面蒼白の娘だった、独りそのようなことをいい、蒼褪めた顔をこちらに向けた。
藁で編まれた帽子、白くふわりとした見たことのない服装の娘が吾輩を見下ろしていた。
……あの凶悪な猿どもとは、明らかに違う優し気な雰囲気が感じられる。
「……そこの娘、吾輩は、妖魔兵団戦略室長、グェルゲドニュウスと言う……ここは何処であるか?」
「恩恵なのかな?……見た目すごぉく、怪物っぽいけど襲ってこないし、言葉は通じるみたい」
「……吾輩の姿や妖魔兵団の名を聞いて恐れぬとは、大した娘だな……くっ……」
娘が細い棒ようなモノを吾輩の前で振る、優しい音色と共に動かなかった左足の痛みが引く。
傷が癒えた?!……見たこともない不思議な……音による治癒?
どのような原理であろうか……法術とも魔法とも違う、強力な違和感。
傷は癒えたが、今度は何かに重しを付けられたように体が動かない。
どうやら目の前の娘のもつ細い棒は魔法の杖なのか、そこから強力な圧を感じた。
吾輩は妖魔兵団の構える城内の只中にいたはずであり、このような場所には覚えが無い。
そして、自身が敷いていた魔法陣……そんな馬鹿な……あるいは、夢か……
これは死ぬ間際に見る幻想なのか?
「夢でも幻でもないんです。あなたをここへお呼びしたのは、私、シェルテです」
やはり、転移魔法か?! そのような言葉が漏れる。
吾輩たちも研究はしていたが、まともに完成しなかった代物である。
だとすれば、猿どもの拠点……ここは人類解放軍の本拠地なのか?
何にしても妙な話である。吾輩を殺しに来た奴ら猿どもが吾輩をそもそも救うはずがない。
先ほどの会話から、妖魔兵団の事も知らないと言うのも、おかしい。
何処ぞかの辺境で新型の転移魔法の実験で吾輩が来ちゃったとかなのか?
「……シュルテとやらよ、吾輩のような素性の解らぬ者を転移させ、治療を施し、そなたに一体、どんな利があるというのだ……」
少女は被った藁で編まれた帽子のつばで表情を隠し、
「……気を確かに聞いてくださいね、多分、あなたはものすごぉく、大きな勘違いをしてる」
「どういう意味であるか?」
「ここは、あなたがいた『世界』ではないんです」
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